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千葉県船橋市本中山2-18-1 二葉屋ビル2F / TEL:047-336-0596 / FAX:047-336-7828 / 院長 東郷幹夫

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  形見カメラ(オリンパス35) 2009年10月14日(水)

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 義母が亡くなって大分経つが、その遺品整理していた中にあったカメラである。女房に聞くと、若くして亡くなった兄のものとのこと。兄妹なのかと回りからいわれるほど学校での成績は優秀であったらしい。オリンパス35が発売されたのは1948年、昭和23年のT型が最初のようである。年表を調べると、その後V型、W型、Wa、Wb、Xa、Xbと続き、この35は1957年(昭和32年)7月の販売のK型らしい。今から50年以上前である。発箸されて大分経って、おそらく中学生か、高校生の頃に購入したと推測される。レンズはD-Zuiko 40mm、F3.5。Dだから4枚構成であろう。シャッターは、コパル製、B、1〜1/500、である。フィルムはレバー巻き上げ、セルフコッキング、ピントは二重像合致式の距離計連動式。M、X接点があるので、ストロボも使用可能である。セルフ・タイマーもある。女房いわく、カメラ好きの伯父が選んだのだろうとのこと。その伯父は、自宅に暗室まで作っていたほど凝っていたらしいが、今はその面影はない。当時としては、最先端であり、今でも十分な機能である。この頃から、35mmフィルムを使うこの種のカメラが、各社から続々と発売されはじめた。この後は、セレン露出計をつけたEE(エレクトリック・アイ)カメラや、フィルム代節約のため、フィルムサイズを半分にして、2倍撮れるようにした、いわゆるハーフサイズ・カメラが発売され、増々、カメラがブームになっていったようである。女房は、大切な思い出のあるカメラにもかかわらず、一切興味示さない。20年くらい前、せっかくだから実際に写してみようとしたが、シャッターがうまく作動しなかったため、オーバーホールした記憶がある。それで、何を写したかは記憶はない。今度とりだしてみたが、シャッターは正常に作動しているように思えるが、レンズが曇っているようであった。再度オーバーホールすれば、問題なく写ると思われるが、そこまではと思い、自分で分解して掃除してみようとしたが、うまくいかないので、そのままフィルムを入れて近くの幕張メッセへ行って撮影してみた。 
 幕張メッセには、近代的なビル、そして、いくつもホテルが立ち並ぶが、そのうちの一つは、名前からして、ニューヨークの高層ビルをイメージしたと思われる。見る位置により、円筒形に見えたり、普通のビルのようにも見える。手前の日本庭園との対比も妙である。

  黒塗り・しっとりカメラ( Leica lll ) 2009年5月7日(木)

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  Leicaは1925年のA型以来、常に機能を追加しては進歩してきた。この lll型は、ll型にスローシャッターを加えたものである。それにより、T、B、1〜1/500とのシャッター速度となった。スローシャッタダイヤルはボディ前面にあり、軍艦部にある高速シャッターダイヤルを1/20に合わせてから、スローシャッタースピードを、1〜1/20の間で調節する2軸式である。慣れれば操作はそう面倒なことではない。さらにボディ側面にストラップをつけるアイレットがつけられ、携行しやすくなった。焦点調節は、この前のll型以来、自動焦点になった。もっとも、自動焦点といっても今のオートフォーカスとはことなり、焦点調節用の窓からのぞき、レンズのピント調節ノブを回して二重になっている被写体をピタッと重ね合わせればピントが合うという焦点調節法である。ピントが合ったら目を隣のファインダー窓に移動して、被写体の位置を調節しシャッターを押す。私の所有する lll型は、ボディNo.125401の1933〜34年製である。購入したlll型には、ボディとセットで販売されたと推測される、No.181198、1933年製の50mm、F3.5のニッケル・エルマーが付いていた。この少し黄色がかったニッケルの色が、またなんとも言えずきれいで愛着がわくのである。しっとりした黒塗りのボディとの相性も抜群である。今から75年も前に作られたものだが、35mmフィルムを装填し、シャッタースピード、絞りを決め、ピントを合わせれば、鮮明な像が得られる。レンズを沈胴状態から引き出し、ちょっと回すとカチッと固定される。空シャッターを押しては、鏡胴部分のニッケルを磨いたりする。自分だけの世界に没頭する時間である。
 基本的には、私は、バルナック・ライカには標準レンズか、広角レンズを使用する。たまに、90mmレンズをつけ、クリアーな視野が得られる90mm用外付けファインダーをのぞきながらシャッターを押すのも面白い。いずれにせよ、75年も前のカメラにもかかわらず、手に持っては扱いやすくしっくりと収まり、机上において眺めていると、製造以来の時間の流れと、カメラ自体の風格を感じ、飽きる事がない。
 Elmar 90mm、F4をつけて、メッセに出かけた。公園の一画に大きな花時計がある。5月末で、花はあまりなかったが、緑がきれいであった。この公園は、とても広く開放的なため、小さな子供連れが何組も、あるいは保育園からきたのか、沢山の子供がみられる。青空のもとで、大いに元気に走り回る子供達を見てると幸せな気分になる。


  究極のカメラ、Leica M3 2009年2月19日(木)

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 カメラといえばライカ、ライカといえばこのM3にとどめをさす、というのがマニアの認めるところのようである。1954年に発表されたM3は、世界中のカメラ業界に衝撃を与え、そのあまりの完璧さに、各メーカーは、この種のカメラの開発から手を引いたともいわれる。
 M3は、レンズ交換が、今までのライカのように、ねじ込み式ではなく、バヨネット式と呼ばれ、レンズの着脱が、より迅速で便利になった。しかし、何よりも世界を驚愕させたのは、そのファインダーにあると思われる。一眼式で大きな接眼部、クリアーな視野、そこに浮かび上がるクッキリとした50mmの視野枠。さらに90,135mmレンズと交換すると、それぞれの焦点距離に応じた視野枠が浮かび上がる。そしてその視野率100%(見たままの範囲が写り込む)と、近距離撮影でも自動的に補正されるパララックスなど、どれも画期的なものであった。また。シャッターダイヤルは、B、1〜1/1000まで一軸式不回転(それまでは、低速と高速のシャッター速度は、2つの異なるダイヤルで調節し、またシャッターを押すと、その速度調節盤も回った)で、フィルム装填は、今まで同様、底蓋を取り外して行うが、背板の一部が開くために、装填状態を確認しながらできるので、非常に扱いやすくなった。フィルムはレバー巻き上げ、シャッターは軽快そのもの、特に低速シャッターを切った時の余韻が、また、マニアを喜ばせる。そして何よりも、手にした際の重厚感、存在感は、最近のプラスチック・カメラでは得られないものである。
 最近のデジタル・カメラの進歩は、使う側が追いつかないほどであり、便利さは、フィルム・カメラに勝るのは否めない。それでも、「写真を撮る」という一連の作業を行う際の充実感は、やはりフィルム・カメラならではであり、このM3は、その思いを満たすには十分すぎるほどである。単なる記録を残す機器としての存在以上のものを感ずるというのは言い過ぎか。
 M3の衝撃から、日本のカメラ・メーカーは、この種のカメラの開発から手を引き、一眼レフの開発・発展に邁進し、その有用性はライカを凌駕し、世界を席巻することになったのは周知のことである。逆にライカは総金属製機械式にこだわるあまり、時流に取り残され、衰退の一途をたどったのは皮肉なことである。
 私の所有するM3は、ボディNo.1038742、1961年製である。10数年前に購入以来、故障することなく軽快なシャッター音を聞かせてくれる。非常にクリアーなファインダーは申し分ないが、私が好んで使う35mmレンズの視野枠は組み込まれていないので、外付けの単体ファインダーをアクセサリー・シューにつけるか、写真のように、50mm枠を35mm枠としてつかう眼鏡つきと言われる特別な35mmレンズを遣わなければならない。しかし、マニアは50mm枠の外側の、ファインダーからみえる視野全体を35mm枠として、通常の35mmレンズを使うようである。
 法華経寺入り口の山門は赤門、あるいは仁王門ともいわれ、左右では、大きな阿・吽の仁王像がすごい形相で睨んでいる。ひさしに掲げてある「正中山」(しょうちゅうざん)の額は、江戸時代初期の書家、本阿弥光悦の筆による。
 
  ちょっと古い携帯電話(Canon 110 ED) 2008年12月5日(金)

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 1970年代後半から80年代にかけて、かなり普及した13mm×17mmの小さいサイズのフィルムを使うカメラの一つである。フィルム・メーカーであるコダックは、フィルム消費拡大をねらって次々と新しいフォーマットのフィルムを考え出すが、1972年に開発されたこの110フィルムもその一つである。個人が写真を楽しむには、それほど大きく引き延ばすことはなく、せいぜいキャビネサイズ(2L)程度なので、ネガもそれほど大きいサイズを必要としない。フィルムサイズが小さいだけに、カメラも小型にできるし、カートリッジ式のため、フィルムの出し入れの失敗はない。コダックからは、いかにもアメリカ製らしいプラスチック製の簡単カメラが多数発売された。子供や女性がターゲットなのであろうか。
 日本でも各社競っていろいろな機種を発売した。ほとんどが女性向きの簡単カメラであったが、このキャノン製のカメラは、カメラの扱いに慣れている人向きであった。1975年3月の発売であるが、私が手に入れたのはその2年後くらいと記憶する。レンズは25mm、 F2.0、4群5枚、絞り優先EE、シャッタースピードは,8秒から1/500秒の間で自動的に調節される。また、この種のカメラでは珍しく距離計がついている。さらに日付が写し込まれる機構もある。X接点のホットシューがあり、ストロボをつけ、絞り調節レバーをフラッシュマークに合わせれば、露出は自動的に調節される。最近のカメラにはほとんどないケーブルレリーズ用のねじ穴もある。安易なカメラのなかでは、さすがキャノンと思わせるつくりである。前方の扉をスライドさせると、距離計窓、露出計窓、そして撮影レンズが現れる。扉はカチッと止まるまで開けないと、シャッターは切れない。
 子供が生まれてしばらくは、このカメラが大活躍した。何処へ出かけるにも持ち歩いた。一眼レフ型のカメラを開発したメーカーもあったが、フィルムサイズが小さいため、プリントされた写真は、少々粒子が目立つのが難点であった。子供が大きくなるにつれ、物足りなさを感じ、ストロボ付のオートフォーカス・カメラを使うようになり、出番はなくなった。同時にこのフィルムを使うカメラも衰退していき、ほどなく市場から姿を消した。
 09年9月に110フィルムが製造中止になると聞き、20数年ぶりに取り出してみた。あらためて見ると、以外と大きく重い。形は平べったい長方体で、小さめのレンガ、あるいは眼鏡ケースか筆箱、いや数世代前の携帯電話のよう。ファインダーがちょっと曇っているが、外見は問題なさそう。シャッター・ボタンを押してみると音はするものの,レンズが開いていない。新しい4SR44の電池を入れてみると、どうにかシャッターが切れるようであった。デート機構は、76~86、そして0〜9とある。2009年までは写し込み可能であり、不用であれば日付を入れないこともできる。
 このタイプのフィルムは、今は大手量販店しか売っていないが、早々に手に入れ、都内で開かれた学会からの帰宅途中、世相を反映してか、いくぶん人通りが少ない銀座4丁目で、街頭の柱にカメラを押し付けてシャッターを押した。夜の撮影で超スローシャッターであったが、そこそこに撮れた。しかし、大きさ、写り、そして便利さは、残念ながら最近のコンパクト・デジカメにも勝てないようである。


  羊羹カメラ、ローライA110 2008年10月29日(水)

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 今から30年以上前に、各社が競って売り出したカートリッジ式の110フィルムを使う小型カメラの一つである。フィルムサイズは、13×17mmで、その面積は、35mmフィルムの約1/4である。1974年から発売されたこのA110は、さすがローライ、このような小型カメラにも、テッサー23mm、F2.8レンズを使用している。コダックや他のメーカーのものに比べ、ずっしりと高級感もある。いわゆるプッシュ・プルでレンズを出し、シャッターをチャージする。ファインダーをのぞき、レンズ下部のオレンジ色のレバーを動かし、ファインダー上部の絵に合わせてピントを合わせる、いわゆるゾーン・フォーカス方式だが、1mから∞まで調節可能である。露出は、電子制御式で絞りはF2.8〜16、シャッタースピードは4秒〜1/400秒の間でプログラム式に自動調節される。シャッターを押すと、ジッと心地よい音がする。ピントがあった時は,さすがテッサー、予想以上に鮮明な写りをする。
 私は、以前、キャノン製の同じフィルムを使うカメラを愛用し、どこへ出かけるにも持ち歩いた記憶がある。その後は、ほとんど35mmカメラを使用するようになったため、このカメラの出番はほとんどなくなった。そんな折、欲しいと思いつつ中々手が出なかったこのローライ製を、毎年、都内のデパートで開催される中古カメラ市でみかけ、つい購入したのは15、6年以上前のこと。他社の同種のカメラと比べると、長さは短く、高さ、奥行きがほぼ同じでコロッとしている。まるで高級羊羹のよう。粋なチェーン製のストラップが付属している。箱に入っていた説明書は、英語、ドイツ語であった。それも、なにか特別なカメラであるかのような思いを抱かせる。
 フィルムカメラの衰退は加速度的である。それでも、35mm、中判、大判フィルムは、しばらくは供給されると推察する。この110フィルムはフジだけがほそぼそと作り続けていたが、情報によると、それも2009年9月で終了するらしい。となると、このタイプのカメラはまったく使用不能になってしまう。使用するフィルムの供給がなくなったために歴史の彼方に葬られた数々のカメラ同様の道をたどると思われる。しかし、デジタル全盛の昨今では、フィルムカメラ自体の存続があやしい。
 そんな折、今のうちに何本か撮っておこうと、しばらくぶりで取り出してみた。たまたま鎌倉へ行く用事があったため、ポケットにしのばせて出かけた。薄くて軽いデジカメに慣れていたためか、以外と重くコロッとしていて、何となくおさまりが悪かった。高徳院の高さ13mの阿弥陀仏は、仏様なれど美男におわしますが、創建当時にはあったと言われる大仏殿は、室町時代に津波により流されてしまい、その後は700年以上、野ざらしである。そのため酸性雨による腐食がすすんでいるのか、白っぽくなってしまった部分もある。正面にまわり、青空をバックにパチリ、ご尊顔を拝した。与謝野晶子が詠ったごとく、確かにいい顔、イケメンだ。


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