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千葉県船橋市本中山2-18-1 二葉屋ビル2F / TEL:047-336-0596 / FAX:047-336-7828 / 院長 東郷幹夫

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  コダック社が倒産!? 2012年1月26日(木)

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世界最大のフィルム・メーカであるイーストマン・コダック社が、経営不振で倒産の危機に落ち入っている、との記事が1/20の朝日新聞朝刊に載っていた。デジタル化への対応が遅れた、ということらしい。2005年5月には、ドイツのフィルム・メーカーのアグファが倒産している。これで、世界三大フィルム・メーカーの中で生き残っているのは、日本のフジフィルムだけになった。
 コダック社は、フィルム市場拡大のため、様々な規格のフィルムを製造し、また、簡易なカメラを多数売り出した。コダック製のカメラは、マニアやプロの使用に耐えるものも一部あったが、一般大衆向けのおもちゃのような作りのものが多かった。フィルムの性能がすばらしいので、簡単なカメラで写真を写すことができる、ということなのだろうか。とにかくたくさんのフィルムを消費させるためである。
 私は、30年以上にわたって、コダック社のスライド用フィルムを愛用し続けたが、それも何年も前に製造中止になった。デジタル化の波は急速に押し寄せ、あっという間にフィルムを表舞台から消し去り、大手量販店のフィルムコーナーに置かれている種類、量も激減した。以前からデジカメも使用し、データをパソコンに保存していたが、いきなり故障して、データを取り出せなくなったことがあった。バックアップしていなかったのがいけなかったのだが、それ以来、外付けHDにバックアップするようにはしたものの、デジタル・データというのは、なんか不確かで、今は、仕事上は、以前は色に馴染めなかったフジフィルムも併用している。
 とにかくこの10年のデジタル化のスピードが早すぎた。デジタルカメラが世に出始めたころは、フィルムカメラの写りになるには数十年かかる、といわれた。その当時は30万画素くらいで、プリントしても見られたものではなかった。フィルム並みになるには1400万画素程度必要だ、ともいわれた。それは、とてつもない数字であり、そんなカメラはとんでもなく高価になるだろうと思ったものである。しかし、最近は、1万円以下でもそんな画素数のカメラが手に入る。信じられないことである。
 私はコダック社のカメラを数台所有している。アメリカ・コダック社製は、デザインが可愛いが、なんとなく女性的で操作も頼りなげである。ドイツ・コダック社製は、蛇腹カメラで、携帯性に優れている。前ブタを開け、レンズを引き出すとピタッと止まりびくともしない。ドイツ製らしく、質実剛健、とても堅牢な作りである。アメリカ製もドイツ製もすばらしいレンズがついており、50年以上経ったいまでも、その写りには驚くばかりである。
 私の愛用したフィルム、「コダクローム」である。感度は、ISO64で、粒子も細かく、色もすばらしかった。1960年代に世界的に活躍したコーラス・デュオのサイモンとガーファンクルのヒット曲の一つに「僕のコダクローム」という歌があり、その歌詞に、「コダクローム。あの明るいすてきな色。僕はニコン・カメラを持っていて、写真を撮るのが大好きだ。」とある。昔から、コダクロームとニコンは、写真好き、カメラ好きには憧れだったようだ。

  ライカの試作機、1.5億円で落札! 2011年5月31日(火)

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 5/28ウィーンで開かれたオークションで、1923年に作られたライカの試作機25台のうちの一台が、約1.5億円で落札されたとのこと。完動品で、今でも使用できるとのことである。
 ライカ生みの親、ライツ社の技術者、オスカー・バルナックが、1913年に、映画用フィルムを使用する小型カメラを2台作ったといわれる。一台は自分用、一台は社長のエルンスト・ライツにプレゼントした。その頃の写真撮影といえば、大きな暗箱を抱え、木枠のフィルムを携えての大仕掛で、写真撮影が趣味であったものの、体力がなかったバルナックには大変だったようだ。そのため、ポケットに入れて持ち歩け、専用マガジンにフィルムをつめて数十枚も撮影できるこのカメラを自作したらしい。しかし、それまでの大型カメラに比べフィルムサイズが小さいため、撮影後、大きく引き延ばす必要があった。その後は当たり前になった、小さく写して、大きく延ばすシルテムを構築したのである。大きく延ばすためには、カメラにも、そして引き延ばし機にも優秀なレンズが必要であり、ライカのレンズが、いまだに人気が衰えない所以であろう。今の35mmフィルムカメラ(といっても、フィルムカメラは、いまや過去のものになりつつあるが)の起源となった画期的なカメラである。その後、ライツ社の経営が思わしくなくなると、社長は、この「バルナックのカメラ」を製品化して売り出す事を決定する。しかし、今までは、バルナック個人で使用するカメラだったので、市販のためにはいろいろと改良が必要であり、試行錯誤が繰り返されたが、その過程で試作されたのがこの25台であり、今回落札されたのはそのうちの一台である。
 このような経緯のあと「バルナックのカメラ」は、1925年のライプチヒの国際見本市で発表され、爆発的な人気を博し、その後ライカは、35mmカメラを牽引し隆盛を極め、35mmカメラの王様として君臨するのだが、、、、、。
 私は、この試作機の雰囲気を持つ、No.2204の1926年製ライカを所有する。No.130まで捨て番といわれるので、私の所有するものは2074番目の市販ライカ・カメラとなる。当然、今でも、問題なく作動し、撮影可能である。
(上の写真は、オークションで落札されたものらしい。下は、私の所有するNo.2204のA型ライカ。)


  形見カメラ(オリンパス35) 2009年10月14日(水)

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 義母が亡くなって大分経つが、その遺品整理していた中にあったカメラである。女房に聞くと、若くして亡くなった兄のものとのこと。兄妹なのかと回りからいわれるほど学校での成績は優秀であったらしい。オリンパス35が発売されたのは1948年、昭和23年のT型が最初のようである。年表を調べると、その後V型、W型、Wa、Wb、Xa、Xbと続き、この35は1957年(昭和32年)7月の販売のK型らしい。今から50年以上前である。発箸されて大分経って、おそらく中学生か、高校生の頃に購入したと推測される。レンズはD-Zuiko 40mm、F3.5。Dだから4枚構成であろう。シャッターは、コパル製、B、1〜1/500、である。フィルムはレバー巻き上げ、セルフコッキング、ピントは二重像合致式の距離計連動式。M、X接点があるので、ストロボも使用可能である。セルフ・タイマーもある。女房いわく、カメラ好きの伯父が選んだのだろうとのこと。その伯父は、自宅に暗室まで作っていたほど凝っていたらしいが、今はその面影はない。当時としては、最先端であり、今でも十分な機能である。この頃から、35mmフィルムを使うこの種のカメラが、各社から続々と発売されはじめた。この後は、セレン露出計をつけたEE(エレクトリック・アイ)カメラや、フィルム代節約のため、フィルムサイズを半分にして、2倍撮れるようにした、いわゆるハーフサイズ・カメラが発売され、増々、カメラがブームになっていったようである。女房は、大切な思い出のあるカメラにもかかわらず、一切興味示さない。20年くらい前、せっかくだから実際に写してみようとしたが、シャッターがうまく作動しなかったため、オーバーホールした記憶がある。それで、何を写したかは記憶はない。今度とりだしてみたが、シャッターは正常に作動しているように思えるが、レンズが曇っているようであった。再度オーバーホールすれば、問題なく写ると思われるが、そこまではと思い、自分で分解して掃除してみようとしたが、うまくいかないので、そのままフィルムを入れて近くの幕張メッセへ行って撮影してみた。 
 幕張メッセには、近代的なビル、そして、いくつもホテルが立ち並ぶが、そのうちの一つは、名前からして、ニューヨークの高層ビルをイメージしたと思われる。見る位置により、円筒形に見えたり、普通のビルのようにも見える。手前の日本庭園との対比も妙である。

  黒塗り・しっとりカメラ( Leica lll ) 2009年5月7日(木)

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  Leicaは1925年のA型以来、常に機能を追加しては進歩してきた。この lll型は、ll型にスローシャッターを加えたものである。それにより、T、B、1〜1/500とのシャッター速度となった。スローシャッタダイヤルはボディ前面にあり、軍艦部にある高速シャッターダイヤルを1/20に合わせてから、スローシャッタースピードを、1〜1/20の間で調節する2軸式である。慣れれば操作はそう面倒なことではない。さらにボディ側面にストラップをつけるアイレットがつけられ、携行しやすくなった。焦点調節は、この前のll型以来、自動焦点になった。もっとも、自動焦点といっても今のオートフォーカスとはことなり、焦点調節用の窓からのぞき、レンズのピント調節ノブを回して二重になっている被写体をピタッと重ね合わせればピントが合うという焦点調節法である。ピントが合ったら目を隣のファインダー窓に移動して、被写体の位置を調節しシャッターを押す。私の所有する lll型は、ボディNo.125401の1933〜34年製である。購入したlll型には、ボディとセットで販売されたと推測される、No.181198、1933年製の50mm、F3.5のニッケル・エルマーが付いていた。この少し黄色がかったニッケルの色が、またなんとも言えずきれいで愛着がわくのである。しっとりした黒塗りのボディとの相性も抜群である。今から75年も前に作られたものだが、35mmフィルムを装填し、シャッタースピード、絞りを決め、ピントを合わせれば、鮮明な像が得られる。レンズを沈胴状態から引き出し、ちょっと回すとカチッと固定される。空シャッターを押しては、鏡胴部分のニッケルを磨いたりする。自分だけの世界に没頭する時間である。
 基本的には、私は、バルナック・ライカには標準レンズか、広角レンズを使用する。たまに、90mmレンズをつけ、クリアーな視野が得られる90mm用外付けファインダーをのぞきながらシャッターを押すのも面白い。いずれにせよ、75年も前のカメラにもかかわらず、手に持っては扱いやすくしっくりと収まり、机上において眺めていると、製造以来の時間の流れと、カメラ自体の風格を感じ、飽きる事がない。
 Elmar 90mm、F4をつけて、メッセに出かけた。公園の一画に大きな花時計がある。5月末で、花はあまりなかったが、緑がきれいであった。この公園は、とても広く開放的なため、小さな子供連れが何組も、あるいは保育園からきたのか、沢山の子供がみられる。青空のもとで、大いに元気に走り回る子供達を見てると幸せな気分になる。


  究極のカメラ、Leica M3 2009年2月19日(木)

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 カメラといえばライカ、ライカといえばこのM3にとどめをさす、というのがマニアの認めるところのようである。1954年に発表されたM3は、世界中のカメラ業界に衝撃を与え、そのあまりの完璧さに、各メーカーは、この種のカメラの開発から手を引いたともいわれる。
 M3は、レンズ交換が、今までのライカのように、ねじ込み式ではなく、バヨネット式と呼ばれ、レンズの着脱が、より迅速で便利になった。しかし、何よりも世界を驚愕させたのは、そのファインダーにあると思われる。一眼式で大きな接眼部、クリアーな視野、そこに浮かび上がるクッキリとした50mmの視野枠。さらに90,135mmレンズと交換すると、それぞれの焦点距離に応じた視野枠が浮かび上がる。そしてその視野率100%(見たままの範囲が写り込む)と、近距離撮影でも自動的に補正されるパララックスなど、どれも画期的なものであった。また。シャッターダイヤルは、B、1〜1/1000まで一軸式不回転(それまでは、低速と高速のシャッター速度は、2つの異なるダイヤルで調節し、またシャッターを押すと、その速度調節盤も回った)で、フィルム装填は、今まで同様、底蓋を取り外して行うが、背板の一部が開くために、装填状態を確認しながらできるので、非常に扱いやすくなった。フィルムはレバー巻き上げ、シャッターは軽快そのもの、特に低速シャッターを切った時の余韻が、また、マニアを喜ばせる。そして何よりも、手にした際の重厚感、存在感は、最近のプラスチック・カメラでは得られないものである。
 最近のデジタル・カメラの進歩は、使う側が追いつかないほどであり、便利さは、フィルム・カメラに勝るのは否めない。それでも、「写真を撮る」という一連の作業を行う際の充実感は、やはりフィルム・カメラならではであり、このM3は、その思いを満たすには十分すぎるほどである。単なる記録を残す機器としての存在以上のものを感ずるというのは言い過ぎか。
 M3の衝撃から、日本のカメラ・メーカーは、この種のカメラの開発から手を引き、一眼レフの開発・発展に邁進し、その有用性はライカを凌駕し、世界を席巻することになったのは周知のことである。逆にライカは総金属製機械式にこだわるあまり、時流に取り残され、衰退の一途をたどったのは皮肉なことである。
 私の所有するM3は、ボディNo.1038742、1961年製である。10数年前に購入以来、故障することなく軽快なシャッター音を聞かせてくれる。非常にクリアーなファインダーは申し分ないが、私が好んで使う35mmレンズの視野枠は組み込まれていないので、外付けの単体ファインダーをアクセサリー・シューにつけるか、写真のように、50mm枠を35mm枠としてつかう眼鏡つきと言われる特別な35mmレンズを遣わなければならない。しかし、マニアは50mm枠の外側の、ファインダーからみえる視野全体を35mm枠として、通常の35mmレンズを使うようである。
 法華経寺入り口の山門は赤門、あるいは仁王門ともいわれ、左右では、大きな阿・吽の仁王像がすごい形相で睨んでいる。ひさしに掲げてある「正中山」(しょうちゅうざん)の額は、江戸時代初期の書家、本阿弥光悦の筆による。
 
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